「グラン・トリノ」とは車の名前だった。フォード社のどでかいアメリカそのものの車だった。
東京有楽町で、夜行バス待ちの時間に友人が連れて行ってくれた。
アメ車がいまや風前の灯火の今日
この車を映画の主題に持ってきたことに現在のアメリカを描く最もふさわしいものだった。
アメリカ映画も、わけの分からないアクションと荒唐無稽の映像技術
人間がいない作品ばかりに突きつけたイーストウッドの作品だった。
「朝鮮戦争に行き、フォードの工場で働き、いまは年金暮らしをしている老人が、ラオスから来たモン族の少年と出会い、風変わりな友情を温めていく。そんな平和をかき乱す集団が……というのがおおよその筋書」(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id332286/より引用)
アメリカの田舎町の団地、少し古い建売住宅地、一人住まいの労時の隣にアジア系の家族が引っ越してくる。
人種差別の強い老人(クリント・イーストウッド)が習慣の違うアジア系家族と溶け合っていくドラマ展開が今のアメリカなのか?
そしてそんな少数民族のアジア系の若者も、小さな社会でギャングを形成していく。
車が面白い。ゴロツキが乗り回す車がホンダ。何かと折り合わない息子はトヨタの販売員。みんなが狙っているのは、今や役には立たないが、「美しくも誇り高いフォード
仲良くなった隣の少年とその姉がゴロツキに狙われ、ついに姉がレイプされ、弟が復習を狙う、
老人は最後に一人彼らのアジトへ丸腰で行って撃ち殺されることによって
ゴロツキを刑務所へ、少年と姉を命と引き換えに守ると言う結末。





